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死せるインターネットに音楽はない

AI、失われたアーカイブ、死にゆくメディア。インターネットは役目を終え、文化はその内部に閉じ込められている。では、どうすればいいのか。動くしかない。

Words: Gabriel Szatan / Published: 2026年6月5日

現代のエレクトロニック・ミュージック・カルチャーを阻む問題はいくつもある。何をどれほど切迫した問題と見るかは人によって違うが、過剰な商業化、反動的な政治、制度の機能不全、ソーシャルメディアによる思考力の低下、若者が集まれる場所の減少、芸術への資金不足――どれも確かに深刻だ。だが、そのほぼすべてに影を落としながら、掘り下げようとすれば悲観が次々に連鎖してしまう厄介な問題がある。2026年、インターネットは死んでいる。そして、私たちはその中に閉じ込められている。

オンラインを足場にしてきたシーンにとって、これ以上に重大な問題はない。壊れたインターネットは、過去と未来の両方を傷つける。進歩を押しとどめているものは何かと自問するいま、そこに宿る音楽を支えられない空間そのものを検証する必要がある。そこで本稿を、メイン特集「There Is No Sound of the 2020s. Yet.」に続く姉妹編として切り分けた。

まだ読んでいないなら、先にそちらから始めてもいい。

ソーシャルメディアへの依存が人を病ませることは、もう誰もが知っている。ここで同じ話を繰り返すつもりはない。本稿で焦点を絞るのは、互いに絡み合いながら悪化しているアーカイブとAIの問題だ。腕の立つDJが鳴らすフロアの高揚からは遠く思えるかもしれない。だが、文化の価値、正確さ、広がりを左右するという点で、重要性は何ひとつ劣らない。崩れかけたデジタル環境を前に、手に負えないと立ち尽くしていれば、すべてが危うくなる。

新しいリスナーとエレクトロニック・ミュージックの関係は、これまでのどの世代とも違う。最初に触れる場所で行動の流れを変えられれば、その音楽を生涯好きになる可能性も高まる。しかし、「ダンスミュージックを共同体の場へ戻せばいい」「若者をレイヴに連れていけば刺激を受ける」といった単純な話ではない。その考えはロマンに満ちているが、2026年のいま、正直なところ、もうそれだけでどうにかなる段階は過ぎている。

必要なのは、文化を保存できる強いデジタル基盤を築くこと。そして、新しい時代に置き去りにされないよう、現実的な態度で未来の技術を使いこなすことだ。以下、そのための道筋を考える。

2026年のインターネットは、何もかもが蜃気楼だ。数字は水増しされ、LLMの幻覚が知識を押しのける。いま読んでいるコメント欄の口論は、実はボット同士の殴り合いかもしれない。あなたが好きだと思っていた音楽も、結局は心理工作だった、というわけだ。

私たちは巨大アプリが作った企業迷宮と、手入れもされず廃墟になったウェブページのあいだに閉じ込められている。かつてウェブが約束したものとは、あまりにかけ離れた光景だ。当初はより多くの音楽を身近にしたはずなのに、いまのインターネットでは、利用者候補が一日中スマートフォンを見ているにもかかわらず、本当に独創的で役に立つプラットフォームほど以前より人目に触れにくい。結果として、新しい音楽発見ツールを作ろうとする意欲は削がれ、新たな生態系を立ち上げる構想など、なおさら生まれにくくなっている。

Jace Claytonが2016年の重要な回想録『Uproot』で描いたように、ウェブの可能性が新たな扉を開き、世界規模の出演ネットワークを動かしていたのは、それほど昔のことではない。音楽好きにとって、2000年代のブログとフォーラムの生態系は、いま私たちがうんざりしながら使う2020年代の環境より、比べものにならないほど豊かだった。個性があり、専門領域は広く、エンゲージメントを気にする必要も少なく、リングライトもいらなかった。何なら初期のソーシャルメディアでさえ、いまよりずっとましだった。Facebook Eventsは、年を追うごとに過去のほうがよく見えてくる。

だが、手元のスマートフォンへの苛立ちだけでは済まない。私たちの集合的な記憶そのものが漏れ出している。WhatsApp、メモリーカード、海賊版市場などを通じて育つことの多い世界各地のエレクトロニック・ミュージックには、もともと儚さがつきものだと考えられてきた。だが、保存されないまま時間のなかへ消えていく小さなシーンは増え続けている。現在の居場所を得られず、未来に探す人のためにも残らない、途方もなく良い音楽がある。

アナログな記録管理から抜け出したはずが、どういうわけか10年、15年前より悪い状態に陥っている。これまで蓄えてきた知識が、2030年代に業界を担う人々へ無傷で届く保証はない。Z世代は文化を知らない、という雑音はよく聞こえてくる。だが、その騒ぎが本当の問いをかき消してはいないか。こちらが態勢を立て直し、過去から未来へ渡す橋をもっと強くするべきではないのか。

記憶の劣化は、目に見える形でも、気づきにくい形でも脅威になる。誰もが知る例を挙げよう。ロストメディアだ。古いファイル共有リンクはカジノ広告に呑み込まれ、クラウド上のファイルはアクセス権を失い、出所をたどれない文書はデスクトップに残ったスクリーンショットだけが存在の証明になる。目当ての「あれ」がどうしても見つからない経験は、誰にでもある。

ハードドライブや雑誌といった物体を手放し、便利ではあるが、本質的に壊れやすい仕組みへ移行した。近年のデジタルメディアは、取り壊しを待つ建物が並ぶ一角に似てきた。まだ立ってはいるが、404エラーや大量の広告の重みで、いつ崩れてもおかしくない。Black AmericanやAfro-Palestinianの文学、書籍、映像・音声資料を集めたdwellerの充実したライブラリーでさえ、万全ではない。たとえば2003年のDavid Mancusoのドキュメンタリー『Maestro』や、SPINが1998年に掲載したデトロイト特集へアクセスしようとすれば、あまりに見慣れた、そして気の滅入る一文が表示される。「申し訳ありませんが、お探しのページは存在しません」

アーカイブへの関心は、断続的ながら高まりつつあるようにも見える。WHOLENEW.WORLDや、Marcus Barnesによる2010s Rave Archivesの人気がその例だ。しかし、MTV Newsが消えるかもしれないという不安や、MixesDBをめぐる騒動が起きるたび、地震計が一時的に大きく振れてタイムラインを揺らしても、そのストレス反応は持続的な行動にはつながらない。「コミュニティ全体、何百ものミックス、音楽、コンテンツ、コメントが、たった一分で消えてしまうなんて異常だ」と、CCLは2023年に書いた。なぜそうなるのか。そこまでの事態なら、私たちは動き出して当然ではないか。

中央集約型のアーカイブを維持する裏では、膨大な労働が費やされている。デジタルな生活に誰もがすり潰されているいま、もう無理だと両手を上げたくなるのも無理はない。だが、聴きたい音楽はいつでも指先にあり、いつでも学べるという思い込みは、近い将来、思わぬ落とし穴になるかもしれない。

Ann Powers、Chris Zaldua、Emma Warren、GG Albuquerqueなど、適切な記録の重要性を訴えてきた書き手は多い。いま特に切迫しているのは、部分的に失われ、部分的に有料の壁で塞がれた記録を材料に、未来のインターネットそのものが再学習されつつあることだ。Web2から奇妙なAI駆動型ネットワークへ移行するこの時期だからこそ、歴史的文脈を欠いたまま何かが「保存」される問題をはっきり捉え直す必要がある。狙いを定めて働きかければモデルの傾向は変えられる。何もしなければ、偽りの連続性が、制御できない形で広がっていく。

Chapter I:アーカイブを始めるべき時は、昨日だった

人間が残した記録だけでも、知識はすでに誤りや偏りを免れない。まして、不完全な記録を学習したLLMは、その歪みを大きな規模で再生産してしまう。代表例が「indie sleaze」だ。後から作られた新語が、ある時代を指す標準的な名称へと書き換えられていった、最も目立つ例のひとつである。

公平に言えば、名前そのものはうまく機能している。だが、electroclash、indie rock、blog house、hip-hopをひとまとめにしたタグが、2021年にトロントのインフルエンサーによって作られ、収益化され、話題に乗じて同名パーティを次々と展開するために使われたとなれば、警戒は必要だ。

宣伝と前史が、こんなふうに混同されていいのだろうか。前例がないわけではない。hardstyleという名称も、2002年にオランダの巨大フェスティバル企業Q-danceが商標登録し、そのまま定着した。それでも、どこか後味が悪い。かつてdance-punkやnu raveと呼ばれていた文化の当事者は、少しずつ背景から消されていく。James MurphyやAlice Glassだけでなく、型破りなDJ、スクワット・パーティ、十代の素人精神も同じくらい重要だった文化から、色が抜けていく。2020年代の新しい混成音楽まで、すでにsleazepopと呼ばれ始めている以上、系譜はさらに歪むだろう。やがて、DJ HellThe Dareが、幻覚めいた時間のループのなかで煙草を一本ずつせびっているような、輪郭のぼやけた未来へたどり着く。

アーカイブにはさまざまな形がある。音を何らかの方法で記録するだけでも、一歩前進と呼べるだろう。本編で述べたように、1970年代末や1990年代初頭に各地で同時多発した創造の波を、いま互いに関連づけて理解できるのは、強固なアーカイブが機能してきた証拠だ。適切に保存されたからこそ、後になって全体像が見えるようになった。

だが、文化が細分化した時代に、その全体がオンライン上の一つか二つの場所だけに居を構えるのは、明らかに危険だ。hardbassやインストゥルメンタルのcloud rapなど今日ではほとんど中身を掘れない小規模シーンも多数存在する。一方、Berlin technoのように、十分すぎるほど記録されている例は少ない。違いを生むのは、しばしば地域や言語だ。プラットフォームを信頼したのに、結局すべてを蒸発させられたアーティストにとって、これは悲劇としか言いようがない。

現在、MySpaceと聞いて思い浮かぶのは、2015年の破滅的なサーバー移行だ。データは、ただ消えることがある。推定1400万組のアーティストによる5000万曲が失われ、運営側は「バックアップを手元に残しておくべきだった」とでも言いたげな釈明を出した。(親切な話だ。)しかも、これが最初の失態ではない。2009年、MySpaceはソーシャルネットワーク、ファイル共有サービス、初期のデジタル音楽ストアを兼ねていたimeemを安値で買収した。その過程で、footworkの歴史の巨大な一部が地上から消えた。2010年代に比較的広く伝播したと考えられているジャンルでさえ、その杜撰さによって大きな打撃を受けた。

Local ActionとNo TagsのTom Leaは、メールでこう説明した。

「2000年代半ば、footworkが急速に変化していた時期に、Imeemはその孵化器として機能していました。ところが当時MySpaceを所有していたNews Corpは、小さなサービスから資産を抜き取り、急いで吸収した。その結果、ジャンルにとって決定的な時期の、きわめて重要なアーカイブが失われました。footworkの歴史は、Planet MuやHyperdubのようなレーベルから発売された音楽へ、不当に重心が偏っています。残念ながら、そのせいで歴史から消されたアーティストがいるのです」

Leaによれば、過去15年に「きわめて重要な音楽」を呑み込んだ陥没穴は、ほかにもいくつもある。2012年、南アフリカのダンスミュージック・ストアAFROdesiaMP3が閉鎖され、何千ものレコードの痕跡がすべて消えた。サンプリングをめぐる煩雑な権利処理と、WorldStarHipHopに散在する単発曲は、Jersey Clubの全体像を見えにくくしている。アメリカのDIY文化に焦点を当てていたPitchforkの姉妹サイトAltered Zonesも、いまでは完全に行方不明だ。

潤沢な資金を持つ企業が、一度に200枚だけプレスする小さなレーベルや、ZINEを作り、ライナーノーツをスキャンして残す熱心なファンより、音楽の保護と保存に失敗しているとすれば、ばかげた話だ。私たちは夜の文化を守ろうと運動するが、データを守る運動はしない。両方が必要ではないか。

「文化的価値のある作品を保存し、共有できるようにするため、進んで働く人々がいることを忘れないでほしい」 — What.cd

アーカイブは衰弱し、UIは腐りつつある。2026年、音楽を楽しく探し、整理できる場所はめったにない。NTS Radioが長く支持されている理由が、人間の手触り以外にもあるとすれば、Infinite Mixtapesが示した設計にある。何気なく画面を眺めていた人を、音楽の奥深い迷路へそっと誘い込む、単純だが驚くほど効果的な仕組みだ。アルゴリズムに頼らない流通の仕組みがもっと増えれば、今後数年の状況を一変させる可能性がある。すでに選択肢はあるのだろうか。

2020年代初頭のNFT崩壊を生き延びたサービスのひとつが、少なくとも先週までは存在していたNina Protocolだ。二つのブロックチェーンを軸にした音楽ハブで、いつデジタル上から消えるかわからないという危機感が、その組織文化を形作っていた。新しい音楽、特に多くのDJがまだ気づいていない新興アーティストを探すには非常に優れた場所だった。しかし、編集部門の影響力がコミュニティの実数を大きく見せていた面もある。利用者は約4万人で頭打ちになり、紛れもなくコアな音楽好きのためのサービスだった。残念ながら、最後までその域を出なかった。

個人的に気に入っている小規模サービスは、zig-zagcosine.clubだ。zig-zagは、相互につながる音の大陸を渡るように利用者を案内し、聴き始めた音楽から次々と先へ進める。Y2K期のかわいらしいジャンル地図を、現代的に作り直したようなものだ。巨大なレコード倉庫の棚を高速で掘っていく感覚に近い。ベルリンのBikini Waxxで午後を過ごすよりはオタク的だが、本質はやはりディグにある。

一方のcosineは、入力された音を音色と構成に基づくスペクトル画像へ変換し、そこから推薦を生成する。簡単に言えば、ある音が好きなら、PR、プレイリスト、曖昧なジャンルタグの影響を受けず、純粋に音響的な水準で似たものを提示してくれる。

こうしたツールがうまく機能すれば、知識が一気に広がり、個人の好みが別の方向へ向き直ることもある。かつて、世界中のラジオを巡るRadio Gardenや、時代を移動するRadioooooのような風変わりなサイトが果たした役割と同じだ。だが厳しい現実として、業界にはこうした仕組みに資金を出す理由がない。企業が必死で守ってきた支配力を弱めてしまうからだ。公共の利益だけを理由に、何かが支えられたことなど、果たしてあっただろうか。

だから、完全主義の音楽収集家が最後にたどり着くのは、海賊行為かもしれない。

Soulseek、What.cd、Oink、招待制の秘密フォーラム。私の知る、耳が広く、厳密に音楽を聴く人々――ツアーDJも含む――の多くは、ダウンロード音源にまったく金を払っていない。最も貪欲な音楽コミュニティが、たいてい海賊行為のすぐ隣にあるという事実には、考えるべきものがある。業界の報復と収集への執念が生んだ奇妙な関係だが、詳しくは別の機会にしよう。皮肉なのは、デジタル暗黒時代へ突入すれば、企業のほうがいつか彼らの善意に頼ることになるかもしれない点だ。

Wayback Machineが慈悲深く保存してきた何兆ものページを除けば、ニッチな文化を最も安定して保管しているのは、いまも海賊版の仕組みなのかもしれない。参加を認められるまでに何段階もの審査があり、アップロードとダウンロードの厳格な比率を守らなければならない。時間と注意を差し出して初めて入れる、壁に囲まれた庭だ。デジタル音楽ストアやSafariのタブでさえ古臭く感じるZ世代を、大きく動かすことはないだろう。

それでも、What.cdが2016年に閉鎖されたとき、インターネット史上もっとも純度の高い音楽発見環境のひとつが失われた。もし音楽業界が、別の、より純粋な目的に奉仕するなら、どれほど大きな可能性を持てるかを示す強力な事例でもあった。

What.cdの運営スタッフは10年前、閉鎖に際してこう書いた

「忘れないでほしい。文化的価値のある作品を保存し、共有できるようにするため、進んで働く人々がいる」

データと情報は価値の変動が激しい通貨だ。だが、その価値がゼロになれば、全員が敗者になる。

AIという、あらゆるものをかき混ぜる巨大な存在へ話を移そう。ただし、予想しているような展開にはならないかもしれない。

問題は、海岸へ打ち上げられる粗製濫造の生成物でも、インターネットを低く覆う自動要約の雲でもない。AIは、制作の基準、趣味、エレクトロニック・ミュージックと接する体験そのものを、回転花火の火花のように生活の隅々まで駆け抜けていくだろう。現在地を考えれば、その影響と正面から向き合うほうが、はるかに大きな課題である。

先に断っておく。人間が作った音よりAI音楽を探して聴きたいとは、まったく思わない。こんなことをわざわざ書くのも子どもじみて感じるし、周囲にもAI音楽を聴きたがる人は一人もいない。感情があまりに沸騰しているため、何を書いても、この節はAI擁護と受け取られるだろう。それでも、今年初めのBandcampによる禁止措置を受けて最高潮に達した大仰な主張には、どこか筋が通っていないものを感じた。少しばかり、無理に演じているようにさえ見えた。

音楽を人間の手に留めよう、というメッセージ自体は正しい。過去10年ほど、独立系ミュージシャンへ多くの収益をもたらしてきたサービスが発するなら、なおさらだ。オプトインの同意や金銭的補償を求める抗議運動のように、明確な到達点を持つ直接行動こそ必要だ。しかしJack Antonoffのようなスターが、過剰に勇ましい言葉で参戦すると、騒ぎは大きくなり、複雑な問題が「人間は善、生成技術はどの程度であれ悪」という二択へ縮められてしまう。

現在のバブルが弾けるまで耐えればいい、という主張も理解できる。AIの「ビッグ5」を支える巨額債務という張りぼてはいずれ崩れ、そのときAI音楽も巻き添えになるかもしれない。だが、各国がインフラへ何兆ドルもの資金を注ぎ込み、ローマ教皇まで本稿より長い文書を発表している。芸術を含む職業生活と公共生活を、この技術が作り変えない未来を期待できる段階は、もう過ぎている。

誰も聴かないボット生成音楽が、データセンターのなかを漂い続ける光景は、確かに根本から無意味に見える。スタジオ一室分のDJ機材や制作機材がアプリのサイズへ縮められていくのを、苦々しく見てきたミュージシャンなら、GPUに自分の技能まで再現されるのを見て、もう辞めようと思うかもしれない。だが、産業の始まり以来のあらゆる道具と同じく、怠惰にも有益にも使える。AIが文化を麻痺させると本気で考えるなら、関わること自体を拒むのは、むしろ無邪気ではないだろうか。

AIに慣れきった世代は、癖も欠点も抱えたインディペンデントなエレクトロニック・ミュージックのほうが、生成物より味わい深いとは思わないかもしれない。

Chapter II:失われた歴史、脆弱な生態系

技術が進歩するたびに恐怖が生まれるのは、今に始まったことではない。1982年、現在も何万人もの職業音楽家を代表する英国の業界団体Musicians' Unionは、エレクトロニック・ポップへの不安に屈し、会員によるシンセサイザーとドラムマシンの使用を禁じた。撤回までには15年かかった。

21世紀に入ると、DAWが業界を動揺させた。ある伝説的ビートメイカーは2003年、Pro Toolsを使うのは「ズル」だと主張した。制作への参入障壁を下げた功績を考えれば、早計な発言だった。まして、その人物Timbalandが後にどこへ向かったかを考えれば、なおさらである。Auto-Tuneをめぐるヒステリーも、やがて沈静化した。いまではCherの「Believe」を、文句なしの名曲だと思っているではないか。

クラックされたソフトウェアが制作を民主化したのと同じように、AIもまず、クラブカルチャーの権力中枢から離れた場所で広く使われる可能性が高い。ナイジェリアではAIの一般利用率がすでに85パーセントを超える。社会的な懸念を尋ねた調査でも、インドは19パーセント、韓国は16パーセントにすぎず、どちらも大騒ぎしていない。硬直した経済と強力なクリエイティブ産業を抱える西側諸国は、いまのところ神経を尖らせている。だが、氷河はすでに溶け始めている

Recording AcademyのCEO、Harvey Mason Jr.は最近、Music Business Worldwideにこう語った。

「あらゆるスタジオ、あらゆるセッションでAIを見ています。私が立ち会った曲や、入ったことのある部屋のなかで、何らかのAIを使っていなかった例を思い出せません」

企業レベルですでにそれが現状なら、独立系アーティストへ渡る跳ね橋はいずれ上がる。映像作品への楽曲提供から企業向けリミックスまで、長くダンスミュージックの中間層を支えてきた仕事が消えていく。

AIを使うこと、少なくとも使ったと認めることがタブーであり続ける限り、目の肥えたエレクトロニック・ミュージック関係者は、柵のこちら側に留まるだろう。だが、準備のないまま不意を突かれる危険もある。2024年、AbletonとMonolakeのRobert Henkeは、AIへの偏見が薄れれば、制作工程への導入は避けられないと助言した。それでもSpliceが、生成AIをクリエイターへの支払いモデルに組み込む仕組みを公にするまで、さらに2年かかった。French Touchのサンプリング職人Alan Braxe & Fred Falkeが数か月前、制作過程でAIを使うことへの好意を表明したときも、まだ例外的な発言に聞こえた。

結局、慎重な賛成派であれ、激しい反対派であれ、組織として準備しておくのが安全だ。AIの進歩によって、人間が作る芸術の交渉力は弱まっている。守る側にも工夫がいる。ある契約はシステムの学習を助け、別の人々は法廷でそれを止めようとする。そのあいだにも技術は強くなり、市場占有率は広がる。そして、あらゆる面でSunoが競合を周回遅れにしている。

Sunoは単に最も高度な製品というだけではない。経営基盤を固め、いまや買収へ動ける段階にある。買収姿勢を見せているのだ。大きな話題を集めながら閉鎖されたOpenAIのSoraは、法的リスクを抱え、利用者にもすぐ見放された。一方、Sunoの利用者はきわめて活発だ。Spotifyが抱える1億曲の全カタログに相当する量を、2週間ごとに生成し、その大量の音源をストリーミングサービスへ投げ込み、半永久的に漂わせている。

Sunoのsubredditへ入ると、別の現実に踏み込んだ気分になる。利用者数は、Berghainやproper technoを扱うコミュニティの何倍にもなる。プロンプトの一覧を見れば、エレクトロニック・ミュージックの制作がどこまで再現可能になったかがわかる。いまもchillwaveにこだわるなら、シマー・リバーブとステレオ・ワイドニングを調整すれば、狙ったヴォーカルに近づく。trip-hopの「煙たいコントラルト」も、Beth GibbonsやMartina Topley-Birdの声を形作った実際の不穏さではなく、リボンマイクが生む暗い音色へ還元できてしまう。

こうした模造品は、すでに完成形の95パーセントまで来ている。残りの5パーセントこそ、良い作曲を偉大な音楽へ変えるものだ、とこちらは主張するかもしれない。しかし、人間の芸術に価値などないと考えるコミュニティを相手にしては、勝ち目のない売り文句だ。ある象徴的なコメントにはこうある。「あと1、2年もすれば、AIかどうかなんて誰も気にしなくなる」

さすがに極論に聞こえる。そこで試しに、ある午後を丸ごとAI音楽だけに費やした。案内役に選んだのは、韓国を拠点とする100パーセントGPU生成のチャンネル、what is ?だった。音楽はそれなりに心地よい。ジャズ調の曲はChick Coreaのように聞こえ、滑らかなビートはMetal Fingersで通りそうだった。ただし、どの曲も2、3分以上は続かない。

率直に言えば、それまで流していた音楽より、原稿を書く作業には合っていた。ガムランの録音は金属音がぶつかって集中を乱すことがあり、Autechreの『Tri Repetae』は当然ながら、聴き手にもっと注意を要求する。

しばらくして聴くのをやめた。主な理由は退屈だったからだ。だが、「魂が本物を求めて叫んだ」と言えば、それこそアップロードされた音源と同じくらい人工的な話になる。粗製濫造の生成物を一度に大量摂取すれば気分は悪くなる。しかしAIに慣れきった世代は、癖も欠点も抱えたインディペンデントなエレクトロニック・ミュージックのほうが、生成物より味わい深いとは思わないかもしれない。

「新しい音を渇望する人間が、新しく奇妙な方法で音を作れるモデルを使わない理由があるだろうか?」 — Holly Herndon

業界は長年、アルゴリズムや行動誘導のさまざまな手口を用い、私たちを受け身にするよう仕組まれてきた。その実態は、Liz Pellyが昨年の優れた著書『Mood Machine』で克明に描いている。だが、悪意ある企業の影響とは別に、音楽を最も受動的な形で楽しむ巨大なリスナー層がいる。その存在は、比較的ほとんど注目されていない。

人格を削ぎ落としたムード・プレイリストは数多いが、Lofi Girlのビート・ループほど影響力と持続力を持ったものはない。「lo-fi hip-hop radio 📚 beats to relax/study to」で知られる常時配信のYouTubeチャンネルだ。コアな音楽好きからは軽視され、Flying Lotusには単なる「スターバックスの音楽」と評された。だが2015年以来、記事執筆時点で累計25億9000万再生という驚異的な数字を記録している。統計上は、地球上で最も人気のあるエレクトロニック・ミュージックのひとつだ。

この10年、city popも意外な巨大ジャンルへ成長した。vaporwaveの時期に始まった再評価は、2010年代半ばのチル文化によって維持された。しなやかなグルーヴと、対象を特定しないノスタルジアは、Pacific RhythmのシャツやSteely Danの帽子と完璧に噛み合った。コンピレーション『Pacific Breeze』の人気はLight In The Atticに恩恵をもたらし、Hiroshi Nagaiのシルクスクリーンへの需要も凄まじかったはずだ。Nujabesが死後、lo-fiの祖として称えられたことで、多くの曲が数千万回規模の再生に達したのも同じ流れにある。

だが、カジュアルなリスナーを惹きつけた性質そのものが、いまcity popを崩し始めている。city slopが増殖しているのだ。1980年代風の映像と、「Plastic Love」の模倣曲が無限に溜まるプール。歌詞に不自然な点があっても、大多数の消費者はそもそも日本語を理解しないため、ほとんど警戒されない。純粋主義者は激怒している。lo-fi系のプレイリストも、「Study, Work & Chill 🤍」といった題名に「NO AI 🚫」と目立つタグを付け始めた。

この展開には、冷笑的な笑みを浮かべたくもなる。ムード音楽が、自らの制作条件にまで強く影響し、さらに合理化された競争相手を生み出して自分を脅かす。長い物語の流れとして見れば、ごく自然な展開でもある。

だが、少し立ち止まってほしい。アンダーグラウンドへ入り込む可能性を持つ17歳の姿を想像してみる。メディアがリスナー・ピラミッドの巨大な層を無視しているだけでも問題なのに、エレクトロニックなビートを好む人々を、能動的なファンへ変えていこうと考えるべきではないか。彼らを永遠にSunoのループへ置き去りにしたいのか。AIが模倣できる音を何でも再現し始めたいま、DJミックスやクラブミュージックだけが次の標的にならない理由はない。

Chapter III:アンダーグラウンドには、AIと向き合う現実的な枠組みが必要だ

生成ツールの倫理を訴える高齢化したアンダーグラウンドと、「Tung Tung Tung Sahur」のphonk editで耳を破壊する世代との隔たりは広がっている。エレクトロニック・ミュージックのコミュニティが取るべき賢明な道は、ロマンがなくても現実主義を選ぶことだ。

理屈の上では、クラブカルチャーがAI音楽から逃れられる最後の避難所になれば、シーンに大きな活力を与えられる。しかし、そのためには業界全体が拒絶する必要がある。ミュージシャンが一線を引いたとしても、レイヴァーはAI生成サンプルを使った凡庸な4つ打ちを聞き分けられるのか。ツアーDJは原則を守るため、AI補助で作られたプロモ音源を除外する追加作業を引き受けるのか。Asliceがほとんど普及しなかった事実を見る限り、期待はできない。

しかも、ダンスミュージック・ファンの警戒心は、すでに試されている。今年2月、Shanti Celesteのファンは、Peach Discsらしい弾むようなアートワークと作風を備え、Amazon MusicDeezerTidalなど複数のストリーミングサービスに公開された2曲を楽しんだかもしれない。問題がひとつだけある。すべて偽物だ。しかも数か月後のいまも消えていない。

AIに価値を吸い取られる前に、こちらが先に価値を引き出したほうがいい。

AIの浸食は、このまま止まらず進む可能性が高い。著名なプロデューサーが密かにAIを使っていたという最初のスキャンダルが起きれば、2010年代半ばのゴーストプロダクション騒動のように、1日か2日は大炎上するだろう。だが、すでにGeminiで市場調査を行うレーベルや、Midjourneyへプロンプトを入力するデザイナーはどう扱うのか。それも重大な使用に当たるのか。

大手クラブがソーシャルメディアで使った粗雑なAI画像への初期の反発は、すでに薄れた。いまではDJも気軽にグリッドへ投稿している。AIが書いたとわかるリリース文章も、至るところにある。厳しい現実を言えば、二つの領域を隔てる明確な境界線は、すでに穴だらけで、大部分が想像上のものにすぎない。

このテーマを扱った最近のRA Proで意見を求められたHolly Herndonは、変化へのアンダーグラウンドの根深い抵抗が、逆効果になりかねない理由を突いた。

「時代を決定づけるメディアを実験的に使ったという理由で、人間のアーティストを排除することには反対したい。AIについては、怠惰な人が使い、最も献身的な人は伝統的な道具を使う、という安易な前提があります」

そして、こう続けた。

「それは感傷主義です。私が知る最も冒険的なプロデューサーの多くは、モデルによって何が可能になるかに夢中になっています。新しい音を渇望する人間が、新しく奇妙な方法で音を作れるモデルを使わない理由があるでしょうか?」

その日が来れば、社会的に許容される範囲は動き、複雑さの基準も上がる。AIについて最も鋭い論者のひとりであるThe New YorkerのJay Caspian Kangは、昨年のコラムでこう書いた。「コンピューターが初めてチェスのグランドマスターを破ったのは1989年だ。それでもチェスは、かつてないほど人気を集めている」

恐怖が必要以上に膨らみ、閉じた言論空間が可能性を制限しているなら、なぜ避けるのか。2020年代末のSteve Reichに相当する人物が、同じモチーフをSunoで18通りに変奏し、人類史上最も甘美な響きを生まないと、誰が言い切れるだろう。

Chapter IV:感傷に流されない道

私の楽観的な予想では、Holly Herndonが2019年にJlinと、自ら育てた生成AIのSpawnを迎えて制作した「Godmother」は、後世、Silver ApplesやDelia Derbyshireの作品と同じように見られるだろう。完全に開花するまでさらに10年を要した未来の、粗い下書きとして。

粗製濫造の波はいずれ引き、2020年代半ばの美学は、いまWinampやNapsterがそうであるように、懐かしさと好奇心の対象になるだろう。抜け目のないレーベルなら、すでに初期AI音楽の「サウンド」を発掘しているかもしれない。そのコンピレーションは、いずれRAでも好意的に取り上げられるに違いない。今日の文化的な残骸は、明日のノスタルジアになる。いつか、そこに多少の愛着さえ感じるかもしれない。

それまでのあいだにも、未来は血を流し、過去は形を変え、現在は指のあいだからこぼれ落ちていくように感じられる。CDRUMA3024のような教育組織は、メンタリングやワークショップを通じ、アーティストが道を踏み外さないよう立派な仕事をしている。だが、活動範囲には限りがあり、良いエネルギーが届く距離も限られる。まして、文化の参加者に、創作と保存の二役を同時に担えと迫るのは酷だ。ほとんど全員が金にも時間にも困っている。

大きな変化を前にすると、個人は完全に圧倒された気分になる。集団で動けば、インターネットの構造的な衰退へ注意を向けさせられるかもしれない。だが、何をすれば損失を食い止められるのかは、簡単には見えない。

圧力をかけるキャンペーンか。オープンソースの保管庫か。文化報道、音楽ジャーナリズム、ユーザー投稿、ソーシャルメディア、フォーラムのスレッドをすべて集約する基金か。現代スポーツが正しい仕組みを持つ例は少ないが、サッカーには参考になるモデルがある。収益を下部へ再分配し、アカデミーへ資金を提供し、若年層の育成へ投資し、上位から下位への補償を義務づけるピラミッド構造だ。

世界最大級のレコード会社がわずかな額を投じるだけでも、デジタル版「アレクサンドリア図書館」として機能する生態系を築けるかもしれない。若者に振り向いてもらえないと冷や汗をかく業界なら、まずそこから始めても損はない。

アンダーグラウンド・ミュージックにとって系譜が本当に重要なら、世代をつなぐ橋は、もっと動的で、柔軟で、壊れにくいものでなければならない。メッセージが12インチ盤やサウンドシステムだけを通じて伝わる保証は、もうない。その生死はオンラインで決まる。

過去を守るために資源を割き、同時に未来を受け入れる気力を呼び起こせるなら――いまはどれほど滑稽に思えても――文化は必ず恩恵を受ける。技術悲観主義には十分な根拠がある。だが、そこへ落ち着くのは簡単すぎる。何とかして、技術現実主義へ這い上がるべきだ。

未来に一切の希望を持てないとしても、テック業界の支配者へ最大限の皮肉を返す方法がある。彼らの道具を逆用し、本物の芸術の立場を強くすることだ。AIに価値を吸い取られる前に、こちらが先に価値を引き出したほうがいい。