Rickshinmi

ハード・ムーブメントの次はどこか?

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訳者主催のハードテクノパーティ、Cyberiaより。

訳者前書き

ハードテクノをめぐるグローバルな盛り上がりは、単なる音楽ジャンルの流行ではなく、ポスト・パンデミック期の文化的欲望の集積として読み解くことができると思っています。 本記事は、そうした「ハード」のブームを牽引するVerkniptの動向を中心に、現代のハードテクノ・レイヴ文化が抱えるジレンマと構造的変化を鋭く考察している記事です。 ハードダンスに関する歴史と近年のバズに対して、非常に丁寧かつ批判的に言語化されており、現在進行形のシーンを読み解くうえで極めて示唆に富む内容となっています。

それぞれの章のサブタイトルは自分でつけたものになります(元のサイトだとテキストブロックを分ける形で章立てがされていたのですが、このプラットフォームだと難しいのでこの形にしました。)

ハード・ムーブメントの次はどこか?

参考元 / Original Article

Title: Where Next for the Hard Movement?
Author: Holly Dicker
Published: April 24, 2025
Source: Resident Advisor

ハードテクノ、ハードレイヴ、ハードスタイル――呼び名はどうあれ、巨大フェスを揺らす激しいサウンドが2020年代を支配してきた。だが、ブランドによる独占、派手な演出ばかりが先行する過熱ぶり、そして草の根のシーンの衰退が進む今、この熱狂のバブルが弾けたとき、一体何が残るのだろうか?

世界最大のハードテクノイベント、Verkniptの狂騒

2024年夏の猛暑日、その夕暮れ時。アムステルダムのスタジアム、ヨハン・クライフ・アレナは、ひっそりと静まり返っていた。1週間かけて会場を組み上げてきた制作チームの姿はなく、巨大な工業用ファンの唸り声だけがその静寂をかき乱している。数時間後には、この鉄とコンクリートの巨大建造物――オランダが誇る二大文化、サッカーとポップミュージックの象徴であるこの場所が、サングラス姿のファッショナブルなレイヴァーと上裸の観客で埋め尽くされ、まるで一つの身体のようにねじれ、うねり、踊ることになる。ロックダウン以降、最も注目を集めるダンスミュージックイベントの一つが、まもなく始まるのだ。

「世界最大のハードテクノ・レイヴ」——そう銘打ったのは他でもない、Verkniptだ。2023年10月のAmsterdam Dance Event(ADE)では、5日間にわたって開催されたハードテクノ・ショーケースが大きな話題となり、その勢いを受けてVerkniptは、ついに歴史あるこのスタジアムで最大規模のイベントを開催すると発表。出演者の名前を一切明かすことなく、なんと4万枚のチケットを即完させた。

Verkniptは2012年の設立以来、“完全なるレイヴの自由”をコンセプトに、熱狂的な観客を引きつけてきたが、2022年にハードテクノ路線へと舵を切ったことで、世界中の若きレイヴァーのライフスタイルに強烈な影響力を持つ存在となった。今のVerkniptを駆動するサウンドは、まさにアリーナサイズの巨大空間を満たすにふさわしい混沌としたサウンドミックス。サイケトランスからシンガロング可能なポップ、そして重厚なハードコアまで、ジャンルの垣根は存在しない。

そのDJセットは、情動を揺さぶり、破壊力抜群。シーンの特徴ともいえるギャロップキック(疾走するようなキック)、陰鬱なメロディのビルドアップ、ハードスタイル的な高揚、そして深く沈み込むようなドロップ——そうした要素が緻密に編み込まれている。過去へのノスタルジーを忍ばせながらも、現在のルールを容赦なく破壊する、破天荒でダイナミックな音楽。これに、ハイテクなレーザー、ストロボ、ビデオプロジェクションによる演出が加わることで、まるでカラフルで商業的なEDMフェスのような光景が広がる。アンダーグラウンド的な泥臭さとは無縁の、洗練された世界観が展開されている。

だが今や、“ハード”という言葉の意味は極めて曖昧になっている。2020年代のクラブカルチャーにおいて、速く、攻撃的で、高揚感があり、極端な音楽はひとつの巨大な柱となった。ハードダンスは、これまでにないスピードでメインストリームへと浸透し、私たちのSNSを埋め尽くしている。 この現象については既に多くが語られてきた。Sala Laundry、Teletec、Azyrなど、新星DJやプロモーターたちは、ロックダウン後の爆発的な需要を受けて一躍スターダムに躍り出た。オランダから遠く離れた北米でも、EDMからハードテクノへと嗜好が移り、BPMを引き上げるアクトやアリーナ級のサウンドを追い求める流れに、商業的な後押しが加速した。

とはいえ、「ハードテクノ」という言葉自体にも揺らぎがある。世代を問わず、音楽ファンにとっての“ハードテクノ”とは、かつてChris Liebingが1990年代半ばに名付けた、ダークで歪んだ突進型のテクノ——いわゆる“シュランツ”を意味することが多い。140〜160BPMの轟音で、DJ Rush、Miss DJax、PETDuoといったアーティストが2000年代にかけてその人気を押し上げた。しかし、今日のスターDJたちがプレイする音楽は、それだけにとどまらない。

同時に、HATEやRAWといった洗練されたマーケティングを展開するプロモーションチャンネルや、SNS向けの“ドロップ一発動画”といった過剰な演出もまた、議論の火種となっている。さらに問題視されているのは、DJブース内の観客層も多様性が後退し、男性的でマッチョなエネルギーが再び優勢になってきているという点だ。そして長期的に見れば、2020年代のこの“ハードダンス・ブーム”において、現場を支える草の根レベルへの投資が著しく欠如していることこそが、最も深刻な懸念材料かもしれない。

「ビジネステクノ」は終わった。今や、呼び名すら定かでない新たなシーンが支配権を握っている。だがその先にあるものは何なのか? このムーブメントは、いったいどこへ向かおうとしているのだろうか?

若年層を惹きつけたVerkniptの戦略と成長の軌跡

世代交代が起きたのは明らかだ。2023年12月、Verkniptの共同創設者兼ブッキング責任者であるMer Hajbaratiは、3voor12のインタビューでこう語っている。「うちの観客にJeff Millsを知ってるか聞いても、多くの人が知らないと思う。そういうタイプのアーティストをいまだに好んでブッキングしているパーティもあるけど、それじゃあ若い層は集まらない。」

Verkniptは若いオーディエンスを的確に捉えたことで、レイヴカルチャーの歴史にそこまで関心を持たないファン層を形成してきた。歴史あるパーティが観客の高齢化を気にするようになった今、彼らは最も熱量のある観客の一部を惹きつけている。「うちは結局、ラインナップ頼みのイベントじゃないんです」と語るのは、VerkniptのゼネラルマネージャーMichelle Verhoefだ。

Awakeningsなど、オランダに根付いた大型テクノイベントや、ID&Tといった商業的に成功を収めてきたハードダンスの大御所たちの影に隠れていたVerkniptは、そうした“ビッグプレイヤー”たちと正面から競うことはできなかった。だからこそ、自分たちのテクノシーンをゼロから作る必要があった。「Awakeningsのせいで、大御所のDJを気軽にブッキングすることができなかった。それが逆に、うちのラインナップをクリエイティブにしたんです」(とはいえ、Verkniptが同じブッキング・エージェンシーから多くのアクトを起用しているのも事実だ)。

Verkniptは、アムステルダムで数百人規模のディープハウス・パーティを開くところからスタートし、2015年にはよりハードなテクノへとシフトしていく。活動休止したPaula Templeや、現在は“hard techno mama”として再ブランディングされたRebekahといった第二世代インダストリアル系アーティストをブッキングしてきた。パンデミック以降、Verkniptのレイヴは単にハードで速くなっただけでなく、規模も拡大している。現在の拠点は、ザーンダムにあるTaets Art and Event Park。倉庫や屋外スペースを含む2万平方メートル、収容人数1万人を誇る複合施設だ。イベントも、今では1週間通しで開催されるまでに成長している。

このように、もともと倉庫で開かれていた質素なレイヴを、眩い視覚演出を伴うオーディオビジュアル体験へと昇華させたことで、Verkniptはレイヴを渇望する若者たちにとって“参加すべきイベント”となった。転機となったのは、ダンス業界全体がパンデミックをきっかけにオンラインへと移行したことだった。Boiler RoomのHard Danceシリーズと並び、2017年以降YouTubeで公開されてきたVerkniptのイベント映像は、物理的に現場にアクセスできなかったZ世代が「禁断の高揚感」を追体験する手段となったのだ。

「コロナ禍の間、うちは“運が良かった”ってよく言われたけど」と話すVerhoefは、2017年にマーケティング・インターンとして入社し、今ではVerknipt全体を統括している。「でも、結局はリスクを取る勇気が必要だったと思う。」パンデミック中に加速したブランドの急成長は、よりスケールの大きい野心的な展開へと繋がっている。「イベントの規模が大きくなれば、それはもう“商業的”ってこと。でも、うちはすでに商業的なんだから、もっと商業的になっても問題ない。うまくいくか、やってみなきゃって思った。」

KETTINGと共鳴するロッテルダムのルーツ

無人のヨハン・クライフ・アレナの輝くフロアの上で、ライジングスターKETTINGがステージに立つ姿は、まるで金髪のアリのように小さく見える。彼は一時間かけて、黙々と自分の機材をセッティングしていた。Alex Kettingとしてロッテルダムで生まれ育った彼は、30代前半の自他共に認める音楽オタクで、制作もライブもまるでトレーニングのようにストイックに取り組んでいる。「自信を持ってプレイするには、毎日リハーサルを積まなきゃいけない」と語る彼は、ケーブルの一本一本まで丁寧に確認しながらこう続けた。「機材は完璧に把握してる。毎日トレーニングしてるから、リスクも取れるんだ。」

日中はロッテルダム市の都市計画課に勤め、スーツ姿で働く彼。創造的になれるのは、スマホの通知が止まる夜だけ。仕事と音楽の間に取れるのは、わずかな仮眠だけだ。「いつか本番中に倒れると思う。でもそれがきっと伝説になるさ」と、皮肉めいた笑みを浮かべて話す。あまりにも音楽に集中しすぎて、マネージャーに「ごはん食べて」と促されることもしばしばだ。

観客を早い時間帯から呼び込むために、Verkniptは意図的に魅力的な“b3b”(3人でのバック・トゥ・バック)オープニングライブを組んだ。参加するのは、KETTING(元パンク/メタルバンドのベーシスト)、三人の中で最もエンタメ性が高くハードテクノDJとしても活躍するFranky-B、そしてストレートなテクノに軸足を置きつつ、Verkniptや自身のCourtoisyイベントでガバセットを武器に着実に地位を高めているCynthia Spieringだ。

訳者補足:KettingたちによるB3Bの様子はこちら(Instagram)

午後8時30分、会場が開く。工業ファンの低音が響く中、鳥のさえずりが流れ、スタジアムには白いスモークが静かに広がっていく。早く到着した観客たちはまず物販ブースへ直行し、他の客はフロアへ流れ込み、最初のキックが鳴った瞬間、次々に上着を脱ぎはじめる。音響は驚くほど良好だ。ここはもはやサッカースタジアムではない。つい2週間前にはTaylor Swiftが歴史的ツアーを成功させ、世界最高峰のポップアリーナと姿を変えたこの場所で、Verkniptもまた、熱狂に見合う舞台を作り上げるプレッシャーにさらされ続けた。

KETTINGはこのロッテルダム・トリオにおける“クロック(=リズムの核)”として、Cynthia SpieringとFranky-Bの間に位置しながら激しいパフォーマンスを繰り広げる。リードプロデューサーである彼の楽曲は、セットリストの中心にもなっており、インダストリアル色の強い「Kill This Beat」と、ドラムンベースの巨獣のようなブレイクが炸裂する「Paradox」という二つのアンセムが披露された。

セットのラストでは、ロッテルダムのハードコア・レイヴのルーツに敬意を表し、KETTINGがリミックスした1995年のハッピーハードコア・クラシック「Rainbow In The Sky」(gabberのゴッドファーザーDJ Paul Elstakによる名曲)をプレイした。

この曲をアムステルダムのスタジアムでかけるのは、ある意味でかなり“パンクな一手”だ。というのも、DJ Paul Elstak本人はこの曲をリリースした当時、アムステルダムでプレイすることに居心地の悪さを感じていたのだ。当時はロッテルダムとアムステルダムの対立が激化し、レイヴでもサッカーの試合でも暴力沙汰が頻発していた。その因縁は今でも完全には消えていない。そして今、同じ空間でそのメロディが響く。この出来事は、2020年代のハードテクノが、たとえ時おりガバの引用を行っても、もはやオリジナルのハードコアとは文化的にも美学的にも断絶していることの証明でもある——しかし、そこ(オリジナルのハードコア)にまつわる“スティグマ(負のイメージ)”まで断ち切れているわけではない。

ボーイズクラブとその中の女性DJたち

Verkniptで最も注目を集めていたアクトは、アメリカのスーパースター、Sara Landryだ。DJ Magの人気投票でハードテクノ勢としては最高位にランクインし、「World's No.1 Hard DJ」の称号を得たばかり。シーンの“女王”としての立場を自ら前面に押し出す存在でもある。

しかし、Verkniptにて女性アーティストとしてブッキングされていたのは、Cynthia SpieringとLandryの2人だけだった。これは、いまやエレクトロニックミュージックシーンにおいて女性DJの存在が圧倒的に可視化されている現状と照らし合わせると、違和感を覚えずにはいられない。 Clara Cuvé、Amelie Lens、Indira Paganotto、VTSSといった人気DJたちは、いずれもハードなスタイルで知られ、外から見れば“ハード系の新潮流”の象徴とも言える存在だ。だが、このVerkniptの世界観において、彼女たちの存在感はあくまでかすかな影に過ぎない。 ハードテクノというジャンルは、依然として“ボーイズ・クラブ(男たちの遊び場)”のままだ。女性アーティストは少数派であり、それはオランダのハードダンス業界に根強く残る構造――つまり、経営層に女性がほとんどいないという状況――を反映しているようにも見える。

「男女比はいまだに極端に偏っている」と語るのは、クィア・フェミニストであり、よりコアなハードスタイルを牽引する存在でもあるAshe Kilbourne。彼女は2023年にDefqon.1で圧巻のデビューを果たした。このオランダの巨大フェスには、4日間で25万人が来場し、350組を超えるアーティストが出演する。演出から演者まで、すべてが徹底してブランディングされた総合体験型のイベントだ。そんな中、女性アーティストの出演はごくわずかにとどまっている。

「こういう組織が拾い上げる“女らしさ”って、ものすごく狭くて、しかも昔ながらの“女らしさ”なんだよね」とKilbourneは嘆く。彼女は“トップレスで拳を振り上げる男たちの音楽”といった従来のテラー(terror)スタイルのステレオタイプを壊すような、祝祭的かつフェミニンな作品「Sunshine Terror」でその構造に挑戦している。

「テラーって、ひたすら“怒り、怒り、怒り”って感じじゃない? でも私はそこに、もっと美しさを持ち込みたいと思ってるの」と彼女は語る。

スペクタクル、SNS、そしてブランドとしてのDJ

ハードダンスは、ベネルクス(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)では常に巨大な存在だった。30年以上前、Thunderdomeが初開催でアイスリンクに3万人のレイヴァーを詰め込んだ頃から、それはすでに大きなムーブメントだった。 いわゆる「低地地方(Lowlands = オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)」は、レイヴカルチャーを数億ユーロ規模のグローバル産業へと押し上げた。その主要な資産の多くは、現在までに議論を呼ぶ買収劇のなかで取引されてきた。
そのムーブメントは、年月とともにますます巨大かつ華美になり、Defqon.1のようなモンスター級のイベントがその役割を継承してきた。2002年にはDefqon.1の主催団体が「ハードスタイル」というジャンル名を商標登録すらしている。 そして今、ハードテクノはその次の進化形であり、Verkniptはその中でも最も商業的な最先端に位置している。 ヨハン・クライフ・アレナでの一連のイベントは、午前1時に会場全体の動きを一時停止させる「Verknipt Experience Show」を軸に構成されている。
これは約10分にわたる壮大なスクリプト演出で、あからさまなノスタルジーに満ちた、かつてのID&Tによるトランスレイヴ「Sensation」へのオマージュだ。 TiestoやArmin van Buurenがスターダムにのし上がるきっかけとなったSensationは、ちょうどこの会場がまだ「アムステルダム・アリーナ」と呼ばれていた2000年代初頭に始まった。

「Sensationは、視覚的なインパクトを極限まで追求し、制作費に一切の妥協をしなかった。」と、ポップカルチャー記者のGert van Veenは著書『Release / Celebrate Life: The Story of ID&T』に書いている。そのショーは「他のすべてのイベントよりも壮大」で、DJはあくまでサポート役と位置づけられ、ステージの主役はシルク・ド・ソレイユ風の演出、爆音で流されるメガミックス、そして有名なアメリカ人俳優John B. Wellsによるセクシーな語りで幕を開ける、という構成だった。

VerkniptはこのSensationの形式を革新するのではなく、忠実に再現してみせた。打楽器奏者、火柱、宙を舞うダンサー、500基以上のライトとレーザー。すべてが“無機質な女性のモノローグ”で始まり、華美な演出が際立つ構成だった。 制作本部では、緊張気味のセキュリティ、VerkniptのVIP、テクニカルスタッフが慌ただしく動き回っていた。その中には、1年間この数分間のために準備してきた者もいる。観客の4万本のスマホが光を放った瞬間、ブランドとしてのVerkniptにとっては「成功」が確定した。それほどまでに、この“スペクタクル”は重要なのだ。

SNSによって拡散されるムーブメントとしてのハードテクノは、従来の音楽業界の構造を覆しつつある。いまや、業界の推薦を待たずとも、自らをプロデュースできる者が“次のスター”になれる時代だ。 同時に、それはこのシーンの閉じた自律性をも際立たせる。外から見れば、「VWL FR33」や「NØRDÏC」といった意味深な大文字の名義を持つ新世代のDJたちは理解不能に思えるかもしれない。だがこの場所では、彼らこそがスーパースターだ。

その一方で、アーティストたちはますます「音楽家」ではなく「ペルソナ」として振る舞うことを求められ、パンデミック以降の新たな業界ルールに適応せざるを得ない。アーティストはブランド化され、DJはインフルエンサーになり、コンテンツチームの存在なしには、スポットライトを維持することすら難しくなっている。

Verkniptに出演する多くのアーティストと同様に、KETTINGもSNS用の映像を撮影する専属ビデオグラファーを抱えている。彼はそれが「今では当たり前のこと」と認めたうえで、こう語る。
「本当は、時間の100%をスタジオで過ごしたい。でも今の自分は“企業”なんだ。観客にアクセスしてもらうにはマーケティングが必要だし、それをやらないなら、誰かがその座を奪いに来る。」 こうした自己ブランド化=「セルフ・コーポラティゼーション」は、シーン全体のあり方を塗り替えてしまった。若い顔ぶれがDJブースに立ち、音楽史への理解が浅くなり、そしてアーティストの“消費サイクル”はかつてないほど早くなっている。 「アーティストもスターも、どんどん入れ替わっていく時代になった」と語るのは、現在ハードテクノで注目を集めるリトアニア出身のインダストリアル・ハードコアプロデューサー、Somniac One。彼女はコンテンツチームを持っていない。Somniac Oneはこれまで、スポットライトを好むタイプではなかった。しかし今では、商業的ハードダンスのなかでもよりニッチなスタイルの“アンバサダー”として、その役割を引き受けている。Verkniptがスタジアムでのレーザーショーに向けて準備を進めていたその頃、彼女はベルリンのTresorの地下深くで、自身のレーベル「Somniverse」を発表していた。瓦礫のなかから立ち上がったこの伝説的クラブは、今も真のハードテクノの文化を育み続けている。その夜のラインナップには、flashcore(フラッシュコア)界の旗手Neurocoreの名もあった。flashcoreとは、200〜300BPMにまで達する超高速のテクノが、あまりのスピードゆえに環境音のように聴こえてくる、美的かつ超技術的なジャンルだ。

Somniac Oneはその夜、Tresorの名物である“終わらないクロージングセット”を担当した。彼女が立ったのは、あの象徴的な鉄格子の内側。そこは、かつてリアルなハードテクノカルチャーが育まれ、今なお生きている場所だ。
「テクノファン、インダストリアルファン、ハードコアファン、それから“本物のベルリンレイヴァー”が集まってた。前列でNeurocoreに裸で踊ってる人もいたよ」と彼女は振り返る。「みんな、音楽そのものを聴きに来てたのが分かったの。」

草の根が失われるとき、カルチャーはどこへ行くのか

ハードテクノはもともと、幅広く、基本的にはウェルカミングなコミュニティだった。だが今、そのコミュニティは、かつてないほど窮屈に感じられる。入れ替わり立ち替わり登場するアクトが、膨れ上がるメガレイヴを支える構造は、シーンの「正当性」と「継承性」をむしろ曖昧にしてしまっている。 最大の問題は、その呼び名かもしれない。いわゆるハード”テクノ”は、シームレスで陶酔的なミキシングや、黒づくめで匿名性を重んじる伝統的テクノの美学をあえて退けている。その結果、真の音楽ファンたちを遠ざけてしまっている側面もある。

Verkniptが定義するハードテクノは、意図的に曖昧だ。「“全部+テクノ”って感じね」と、Verhoefは説明する。Beatportですら、もはやこれをハードテクノとは呼ばなくなっており、代わりに“ネオ・レイヴ”という名称を掲げ、新たなポップ文脈のサウンドに特化したチャンネルを開設している。
この言葉にピンと来た人もいるだろう。UKの老舗クラブイベント「Bang Face」——20年以上前にフリーパーティとして始まり、さまざまなハードダンスのスタイルをユーモラスにミックスしてきた伝説的パーティ——がこの言葉を使っていた。つまり、このネーミング自体、そもそも“引用”なのだ。

だが、もっと深刻な問題もある。多くのクィアの人々が、男中心のこのシーンに居場所を見つけられずにいるのだ。
ロッテルダム拠点のノンバイナリーレイヴァー、ShilohはVerkniptのような大規模イベントは避け、パリのMYSTのようなコミュニティ主導のパーティに参加しているという。彼らは、2022年に開催されたロッテルダム・レイヴ(Verkniptより“インダストリアル寄り”のイベント)で、若い男性客による不適切な振る舞いや、パーティマナーの欠如、そして過剰な混雑を目の当たりにした。こうした状況は、安全性やリスペクトを重視する若いダンサーたちを、メガレイヴから遠ざけている。「それに」とShilohは糾弾する。「チケット代が異常よ。こんなの払えない。」

今の若い世代は、表面的な体験を与えられる一方で、容赦なく金を搾り取られている。パンデミック以降の物価高騰と生活費の上昇が、クラブカルチャーにおいても「大衆に向けてチケットを売る」ことをますます切実で不安定なものにしているのだ。

かつてヨーロッパのクラブカルチャーを牽引した都市、ロッテルダムでは、その衰退ぶりが数字にまで表れている。市の独立系ナイトカルチャー評議会(N8W8)が依頼したCreative Footprintの調査によれば、街にある71の会場のうち、新しいアーティストやコンセプトを育てるのに適しているとされたのは、わずか9つだけだった。 CFRの報告はこう述べている。「パンデミックによる長年の会場閉鎖と、新しいスペースを立ち上げる際の大きな障壁が、ロッテルダムのナイトライフに対する懸念と諦めムード(あるいは冷笑的な雰囲気)を生んでいる。」

つまり、今日のクラブプログラムは、大衆をターゲットにし、最もポピュリズム的なダンス・トレンド——ここではハードテクノ——に迎合するようになった。その結果として、パンデミック以前には当たり前だった週末のクラブ体験や習慣が、静かに、だが確実に消されつつある。
それはロッテルダムですでに現実になっている。次回開催のハードテクノレイヴ、「ロッテルダム・レイヴ」は、MaassiloやAhoyといった大型施設を会場にしており、すでに何ヶ月も前に完売している。一方で、金曜夜のテクノクラブ、Perronではダンスフロアを埋めるのに苦戦している。 Perronは、今やロッテルダムで唯一、毎週レジデント制でプログラムを組み、自前のブッキングを行っている「本物のテクノクラブ」だ。キャパは750人。新しい才能にとってはちょうどよく、ビッグネームにとっては攻めた選曲をする余地もある。こうしたコミュニティ形成の核となる空間こそが、ハードテクノに限らず、テクノ全体の未来にとって不可欠であり、そして今や絶滅の危機に瀕している。

近年、PerronはFreddy KやMarcel Dettmannといったアンダーグラウンドの常連アクトに加え、よりハードなスタイルも受け入れるようになってきた。地元のコレクティヴPRSPCTやSpieringが主催するパーティをはじめ、Gabber EleganzaやHard Attack(アムステルダム発のネオガバ・ナイト)といったゲストによる一夜限りの企画も打たれている。 だがそれでも、メガレイヴの台頭によって、このクラブの存在感は徐々に押しやられている。

コミュニティ形成の芽は確かにある。だが、それが“現場の源流”で十分に育っているとは言いがたい。オランダにおけるハードテクノは今、急速に「過激な新しいダンスカルチャー」ではなく、スタイル化された“ライフスタイルブランド”へと変わりつつあるのだ。 それこそが、今もっとも懸念すべき点だ。しかもそれは、オランダだけの問題ではない。あらゆる世代・あらゆるジャンルのレイヴァーが直面している、世界的な現象だ。いま、あなたの街でも起きていることだ。

熱狂が冷め、SNSでのバズが下火になったとき——そのとき、本当に何が残っているだろうか?

ハードテクノに今、欠けているのは、そもそもこのシーンを支えてきた中核の要素だ。熱狂的なコミュニティ精神、草の根のマインドセット、そしてカルチャーの“核”。それなしに築かれる未来は、あまりにも危うい。

訳者後書き

以上、RAに投稿された、Where Next for the Hard Movement?の和訳でした。

本記事は、単なるパーティレポートを超えて、SNSによるバズや資本の論理に支配されつつあるクラブカルチャーにおける「現代性の病理」を鋭く炙り出す、非常に示唆に富んだ批評であると考え、翻訳しました。

DJが企業のように振る舞い、アーティストがインフルエンサー化する。アンダーグラウンドで草の根的な空間は失われ、文化の継承ではなく、“パッケージ化された快楽”が前景化していく。こうした変化を、批評性とジャーナリズムを巧みに織り交ぜながら描き出す筆致には、読む者として多くの学びがありました。

一方で、この記事は問題提起こそ的確ながら、「ではどうすればよいのか?」という点に関しては沈黙を保ち続けています。また、「今の若者はJeff Millsも知らない」といった言及がある一方で、若い世代のリアルな快楽原理や、なぜ今のシーンが魅力的なのかといった点への共感的な想像力には欠けているようにも感じられました。おそらく、批評文としての立場を貫くためだったのかもしれませんが、RAという権威性を持つ媒体が、現行シーンを一方的に批判しているようにも読めてしまい、読者の絶望感を助長するだけになりかねない危うさもはらんでいます。(Where is nextとかタイトルに書いているのに、その未来像を一切提示せずただ「危うい」とだけ言う無責任さに対する違和感は何度読んでも拭えなかったです。また文中で度々挙げられる「本当のテクノ」といったようなエリート主義的な文章もあまり好感は持てませんでした。)

おそらく、未来に向けた提起は、私たち読者一人ひとりのリスニングスタイルやライフスタイルに委ねられているのでしょうか。

また、読み進めるうち、自然と頭に浮かんできたのは、こうした構造的変化とは別の時間軸で、草の根的に日本のハードテクノ・シーンを育ててくださった先輩方の姿でした。日本でも大きな箱によるビッグネームの外タレを呼んだハードテクノパーティが存在する中、アンダーグラウンド的な精神性を重要視し、もっと小さく、もっとしぶとく、けれども熱と創意に満ちた現場を守り続けている空間、人々がいます。自分自身DJとして、オーガナイザーとしてそのようなシーンで育った身であり、ここまで草の根的に日本のハードテクノシーン、クラブシーンを支えてくださった先輩たちに対する感謝が止まらなくなりました。本当にありがとうございます。

またどこかのフロアで会いましょう!👋

P.S 私が主催するパーティ、Cyberiaと都内のハードテクノシーンを大きく支えてきたNebulaというパーティのコラボイベントが7/18に西麻布であります。ぜひ遊びにきてください。

Nebula x Cyberia