サイケデリックセラピーにおける音楽のあり方の歴史
章の最後の括弧の中にある数字は参考文献の数字です。長い文章だけど楽しんでねっ!
サイケデリクス(一般的には「幻覚剤」、本稿では精神展開剤というワードを使う)を用いた心理療法では、音楽がセッション環境の重要な要素として位置づけられてきた。1960年代から1970年代の臨床研究では、患者はアイマスク(暗幕)とヘッドホンを装着し、横たわった状態で音楽に身を委ねる形でセッションが進められ、音楽療法士や臨床スタッフは事前に患者の音楽的嗜好を把握し、セッション中に使用する曲をいくつか聴かせて準備させるプロトコルが取られていた。音楽はセットとセッティング(内的心構えと外的環境)の一部として、患者の安心感や没入を促進し、体験を適切な方向へ導く「背景」として機能した。
セラピーセッションにおける音楽の役割と使用法
音楽は、サイケデリックセラピーにおいて単なる雰囲気づくり以上の役割を果たすと認識されていた。ヘレン・L・ボニーとウォルター・N・パンク(1972年)の論文「The Use of Music in Psychedelic (LSD) Psychotherapy」では、音楽がセラピー目標を支援する5つの相互関連する方法が示された。すなわち「1)被験者が通常のコントロールを手放し内的体験に没入するのを助ける、2)強い情動の解放を促す、3)ピーク体験(宗教的・宇宙的な恍惚体験)への到達を助長する、4)時間感覚の歪んだ中で経験に連続性を与える、5)体験に指針と構造を与える」という点である。スタニスラフ・グロフは自身の著書『LSD Psychotherapy』(1980年初版)において、音楽を「セッション中の困難な局面を乗り越え行き詰まりを突破するのを助ける持続的なキャリア波のようなもの」と表現しており、音楽が内面的プロセスを支える土台として機能すると考えた。実際、初期の研究者たちは「LSDは音楽に対する情動反応を高める」ことを経験的に理解しており、音楽とサイケデリクスの組み合わせが強力な情動的洞察やcatharsis(精神的浄化)を引き起こすと期待されていた。
セッション中は、治療者はできるだけ患者との対話を控え、音楽を「言葉なきセラピスト」として用いることが推奨された。患者は目を閉じ音楽に集中することで外界から切り離され、自身の内面に深く没入することができる。例えば、当時のセッション記録では「ヘッドホンを装着すると『自分が音楽の中に入り込んだ』ように感じた」との報告もあり、音楽が感覚の境界を溶解させる没入体験をもたらす様子がうかがえる。ボニーらの研究では、音楽は患者の不安を和らげ信頼感を醸成するとともに、抑圧された感情を解放しやすくする「心理的防衛の緩和剤」としても機能すると述べられた。実際、音楽は無意識の内容を引き出す扉を開くとの指摘もあり、深層心理へのアプローチ手段として活用されたのである。
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音楽の選曲:セッションの段階・目的別のアプローチ
1960〜70年代の古典的なLSD療法では、セッション経過に合わせて音楽を段階的に使い分ける手法が確立されていた。典型的なLSDセッションは投与後約8〜10時間に及ぶため、その過程をいくつかのフェーズに区切り、それぞれに適した音楽を選曲するプログラミングが行われた。ボニーとパンクの報告によれば、研究者らは薬物効果の進行を6つのフェーズ(導入、薬効立ち上がり、ピークに向けての高まり、ピーク、リエントリー〈再突入〉、日常意識への復帰)に分類し、それぞれに対応する音楽の種類とムードを整理していた。
導入期(投与〜30分前後):
この段階では薬の効果が現れ始める前後であり、不安の軽減とリラックスが目的となる。患者が安心して身を委ねられるよう、穏やかで親しみやすい曲が選ばれた。場合によっては患者の好みに合った親しみのある曲(英語のポピュラー音楽など)を1曲程度流すこともあったが、これはセッション冒頭のみに限定された。例えば、当時の実践ではピーター・ポール&マリーのフォークソングやビートルズの「Let It Be」など穏やかなポピュラー曲が導入に用いられた例も報告されている。
薬効立ち上がり〜ピーク直前(投与後30分〜3時間程度):
薬の作用が徐々に強まり、知覚や感情が揺さぶられ始める段階である。不安や抵抗感が生じやすいため、落ち着いた肯定的なムードを保ちつつ内的探索を促す音楽が重視された。具体的には、美しいメロディーと安定したリズムを持つ西洋古典音楽の緩徐楽章(例:ヴィヴァルディ「四季」よりアダージョ、バッハ「アリオーソ」、モーツァルト「ラウダーテ・ドミヌム」など)が多用された。これらは情緒を落ち着かせつつも心を開く効果があり、副作用(めまい・吐き気等)が出た際にも安心感を与える狙いがあった。
ピークに向けての高まり(投与後1.5〜3.5時間):
精神展開剤の効果が頂点に近づくにつれ、体験はしばしば圧倒的なものとなる。この局面では、感情の奔流を後押しし恐怖を乗り越えさせるような力強い音楽が選択された。テンポや強弱の起伏に富み、クレッシェンドがドラマチックな曲が好まれ、患者が音楽に「身を任せて感情を解放する」ことを助ける。一方で不安を過度に煽らないよう、激しい曲の合間には優しく支えるような曲を挟みバランスを取る工夫もなされた。具体例として、ベートーヴェン「交響曲第5番」第1楽章やバッハ「マタイ受難曲」オープニング合唱、スメタナ「モルダウ」など荘厳で勢いのある作品が挙げられる。対照的に、合間にはバッハ「来たれ、甘き死よ」やシューベルト「アヴェ・マリア」、黒人ゴスペル歌手マヘリア・ジャクソンの「I Believe」といった慰めに満ちた声楽曲が用いられ、激しい情動の波を受け止める安心感のクッションとなった。
ピーク(投与後3〜4.5時間):
薬効が最高潮に達するこの時間帯は、セッション全体のクライマックスであり、しばしば神秘的なピーク体験(宇宙的合一感や深い霊的恍惚感)が得られると期待される。治療チームはこの貴重な体験を最大限促すべく、全員が「これはピークにふさわしい」と認めた曲をここに投入した。ピーク音楽と呼ばれたレパートリーには、経験的に強い感動や畏敬の念を喚起すると分かった特定の楽曲群が含まれている。例として、グノー「聖セシリア荘厳ミサ曲」、R.シュトラウス「死と変容」より“変容”、フォーレ「レクイエム」第2曲・第7曲、バーバー「弦楽のためのアダージョ」、ブラームス「ドイツ・レクイエム」抜粋(第4曲・第5曲・第7曲)などが頻繁に用いられた。荘厳な宗教音楽やオーケストラ作品によって、患者が高揚感と畏敬の中で自己超越的な体験に達するのを音楽が後押ししたのである。ただし、あまりにも不協和音の強い現代音楽や過度に暗鬱な曲は不安や混乱を招く恐れがあるため慎重に避けられた。
リエントリー(再突入)期(投与後4.5〜7時間):
薬物体験のピークを越えた後、徐々に通常意識へと戻り始める段階である。ピークで肯定的な神秘体験を得た場合は、しばらく恍惚と平安が残るため、その静かな余韻を映し出すような穏やかな音楽が必要とされた。具体的にはワーグナー「ローエングリン前奏曲」や「トリスタンとイゾルデ」より“愛の死”、ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」第2楽章、ラフマニノフ「交響曲第2番」アダージョ楽章、さらには瞑想的な環境音楽アルバム『Music for Zen Meditation』等が挙げられている。これらは深い感動のあとの静けさを讃える音風景を提供し、患者は内省的な安らぎに浸ることができる。逆にピーク体験が得られなかったケースでは、この時期はセラピストとともに浮上した問題を統合し乗り越える作業に充てられた。必要に応じて先の時間帯に感情を解放するきっかけとなった曲をもう一度流し、未消化の感情を再度表出させることも行われた。リエントリー後半では徐々に軽快で親しみやすい曲にシフトし、日常へのソフトランディングを図った。例えば、コープランド「アパラチアの春」終曲や、アルゼンチンの民俗ミサ曲「ミサ・クリオージャ」からの曲、ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ第5番」など明るく情緒豊かな曲が選ばれている。患者が覚醒に向かう7〜8時間以降は、復帰期として本人の希望する音楽を自由に流し、必要であれば家族との面会も許可された。
以上のように、古典的サイケデリックセラピーではセッションの進行に沿って音楽が細やかにプログラムされていたことが分かる。特筆すべきは、当時の治療者らが選曲にあたり単なるジャンルではなく楽曲の情動的な特性に着目していた点である。ヘレン・ボニーは未発表のガイドライン(1960年代末頃作成)で、音楽を「静かで安心感のある曲」「駆り立てる不協和な曲」「強力なピーク曲」の3種類に大別し、セッション中の患者の心理状態に合わせて柔軟に使い分けることを提唱した。特に歌詞のあるボーカル曲や宗教音楽については、言語的・文化的連想が強すぎて患者の内省を妨げる恐れがあるため、セッション序盤と終盤以外は極力避け、患者が十分に深いトランス状態に入ってから必要に応じ投入するよう推奨している。このように、音楽自体のスタイルよりもそれが喚起する情緒的波及効果に基づいて選曲するアプローチは、当時から体系立てられていたのである。
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主な研究者と理論的立場
1960年代から70年代にかけて、サイケデリック療法と音楽の関係を探究した代表的な研究者として、スタニスラフ・グロフとヘレン・L・ボニーの名が挙げられる。グロフ(Stanislav Grof, 1931-)はチェコ出身の精神科医で、プラハと米国において数千回に及ぶLSDセラピーセッションを指揮し、その膨大な臨床観察をもとにトランスパーソナル心理学の礎を築いた人物である。彼は著書『Realms of the Human Unconscious(邦題:人間無意識の領域)』(1975年)や『LSD Psychotherapy』(1980年)で、LSDセッション中に現れる体験世界を感覚的・個人的・周産期・トランスパーソナルという4層構造でモデル化し、人が出生時のトラウマや個人体験を超えた普遍的象徴体験に至り得ることを論じた。音楽についてグロフは、前述のように「患者を安全に深層へ誘い、行き詰まりを突破させるキャリア波」の役割を強調し、内なる癒やしの知性(inner healing intelligence)が働くのを助ける環境要因として音楽を重視した。グロフ自身はクラシック音楽から民族音楽まで造詣が深く、セッションでもワーグナーからチベット仏教の読経に至る多様な音源を活用したとされる。LSD研究が中断された後、グロフは妻と共に薬物を使わない代替手法「ホロトロピック・ブレスワーク」を開発し、急速な呼吸法とシャーマニックな音楽(ドラム、チャンティング等)によって類似の変性意識状態を誘発する試みを続けた。このブレスワークは1970年代後半から世界各地で実践され、グロフの音楽的セラピー観を非薬物セッティングで継承するものとなった。
一方、ヘレン・L・ボニー(Helen Lindquist Bonny, 1921–2010)は音楽療法士の視点からサイケデリック研究に参画し、音楽の心理的影響を体系化したパイオニアである。ボニーは1960年代後半、メリーランド州の春の森精神病院(Spring Grove)に設立されたメリーランド精神医学研究センター(MPRC)に音楽療法士として招聘され、LSDや他の精神展開剤を用いた治療実験に従事した。彼女は当時から音楽が患者の内的イメージを豊かに喚起し、治療効果を高めることに着目しており、上述のボニー&パンク論文(1972年)では膨大なLSDセッションの音楽プログラムの分析結果を報告している。ボニーの理論的立場は、人間の意識に備わるイメージ想起力と音楽を結びつけるもので、精神展開剤によって解放された無意識に音楽が働きかけることでセラピー効果が最大化すると考えた。
彼女はLSD研究が規制で停止した1970年代以降、自らの知見をもとに薬物を使わない音楽誘導法「ガイデッド・イメジェリー&ミュージック(Guided Imagery and Music, GIM)」を開発した。GIMはクラシック音楽などを聴きながら誘導イメージを想起させる心理療法技法であり、ボニーは1970年代を通じてその有効性を研究し、後に音楽療法の一分野として体系づけた。GIMは「音楽を用いた意識拡張療法」として当時のカウンターカルチャーやニューエイジ運動とも親和し、薬物なしで精神展開剤セッション類似の心的探求を行う手段として広まっていった。
その他にも、1960年代のサイケデリックセラピー黎明期には多くの研究者が音楽に注目した。例えば、ティモシー・リアリーの弟子でもあるウォルター・P・ハンク(Walter Pahnke, 1931–1971)はボニーと共にMPRCで治療プログラムを開発した精神科医であり、音楽の効果を定量化する研究に関与した。彼は1962年に有名な「マーシュ礼拝堂の実験」を行い、精神展開剤による神秘体験(ピーク体験)の研究で知られるが、その際の環境として教会の宗教音楽や儀式空間を用意し、音楽と霊的体験の関連性に着目していた点も特筆される。
また、ビル・リチャーズ(William A. Richards)やスタンレー・クリップナー(Stanley Krippner)ら当時の研究者も、それぞれの実験で音楽のセラピー的価値を強調している。リチャーズは後年まで研究を継続し2010年代まで音楽の選曲に携わった。彼らはいずれも、人間の深層心理や霊性にアクセスするための触媒として音楽を位置づけ、理論的にはユング心理学や人間性心理学、宗教学の知見を援用しながら、自らの音楽選択論を語っていた。
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宗教的・文化的背景と1960年代カウンターカルチャー
音楽とサイケデリック体験の結びつきは、単に臨床技法上の工夫に留まらず、当時の宗教的・文化的な潮流とも深く関係していた。まず注目すべきは、精神展開剤の体験がしばしば神秘体験に喩えられ、宗教的フレームワークで理解されていた点である。1960年代の研究者たちは、LSDによって得られる至高体験が東洋宗教の悟りや西洋神秘主義の神秘体験と共通する特徴を持つことに気づき、治療効果との関連を模索した。このため、セッション環境にも宗教的象徴が取り入れられることがあった。例えばメリーランドの研究施設では、セッション室に仏教やキリスト教の聖像、花などを飾り、音楽にもミサ曲や賛美歌など聖なる雰囲気を醸成するものが選ばれたとの報告がある。もっとも、前述のとおりボニーは宗教音楽を扱う際のリスクも認識しており、個人の教養による先入観が強すぎる場合は逆効果になり得るとして慎重な適用を提言している。とはいえ、多くの患者にとって荘厳な宗教音楽(たとえばバッハの教会カンタータやグレゴリオ聖歌)は畏敬と帰依の感情を呼び起こし、自己超越を助ける有力なトリガーになったことは事実である。ハンクのマーシュ礼拝堂の実験ではゴスペルやオルガン曲が参加者に深い感動を与え、約半数が「神の臨在」を感じるレベルの神秘体験に至ったとされるが、これも音楽と宗教的セッティングの相乗効果と言えるだろう。
一方、1960年代後半のカウンターカルチャーにおいて、サイケデリック体験と音楽は切り離せない関係にあった。臨床の外では、若者たちがロックフェスや「アシッド・テスト」と呼ばれるパーティでLSDを服用し、同時に大音量のロックや実験音楽に没入する文化が誕生した。この時期に登場したサイケデリック・ロック(サイケデリック音楽)というジャンルは、その名の通り精神展開剤の体験からインスピレーションを得た音響表現であり、ピンク・フロイドやグレイトフル・デッドに代表されるバンドが聴衆を恍惚感と没入の音の旅へ誘った。グレイトフル・デッドの音響担当であったオウスリー・“ベア”・スタンリーはLSD販売の利益を投じて「Wall of Sound」と呼ばれる高品質サウンドシステムを構築し、野外コンサートで陶酔的な音空間を実現したと言われる。また一方で、当時の音響技術者でサイケデリクスの支持者でもあったマイロン・ストローラー(Myron Stolaroff)はスタジオ録音機器の開発利益をサイケデリック研究に投資し、創造性や問題解決能力に与える効果を探った。このように音楽技術の革新とサイケデリック文化は相互作用し、セラピーのみならず1960年代の音楽シーン全体に変革をもたらした。
文化的側面では、東洋思想や先住民の儀式への関心もサイケデリック時代に高まっていた。ヒッピーたちはインドやネパールに渡って瞑想や古典音楽を学び、麻薬取締法施行後の1970年代には多くがアジアや中南米の宗教的コミュニティに合流している。とりわけ、インドのゴアでは欧米から集まった若者たちが既存のロックや電子音楽からボーカル部分を切り貼りして声のない延々と続くダンスミュージックを作り出し、一晩中踊り明かすドラッグパーティ文化が形成された。これは後に「ゴア・トランス」と呼ばれる電子音楽ジャンルの原型となり、1980〜90年代に世界的なトランス・ミュージック潮流へと発展していった。また1960年代からのニューエイジ運動の中で、瞑想やヨガに音楽を用いる試みも広がった。ニューエイジ系の音楽家(スティーヴン・ハルパーンやブライアン・イーノ等)は意識をリラックスさせ拡張する音を追求し、その作品はドラッグを使わない精神療法や自己探求ワークショップで好んで用いられた。こうした動きはサイケデリック研究の公式な停止期間において、音楽と意識変容の結びつきをカウンターカルチャー的に地下水脈で維持する役割を果たしたのである。
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音楽心理学的な分析と理論的考察
サイケデリックセラピーにおける音楽利用は、音楽心理学的な見地からも様々な分析・理論付けが試みられてきた。まず、生理・情動面で言えば、精神展開剤は音楽に対する感受性を飛躍的に高めることが経験的に知られている。2010年代に至って脳神経科学の手法で検証されたところによれば、LSD投与下では音楽を聴いた際の情動喚起が著しく増大し、健常時には湧かないような「畏敬」「不思議さ」といった感情因子が強まることが確認された(Kaelenらによる2015年の研究)。これらはまさに古典的セラピーで言うピーク体験時の感情と一致し、音楽と精神展開剤の併用が霊的・極致体験の発現率を高める科学的根拠ともなっている。ピーク体験はその人の世界観や価値観にポジティブな変容をもたらし、長期的な精神的成長や幸福感の向上に寄与することが報告されているため、音楽は単なる雰囲気作り以上に治療効果の鍵を握る媒介と見なされるのである。
心理学的には、音楽が持つ情動誘発作用と想像力喚起の特性が活用されている。音楽は言語を介さず直接に情動に訴える「感情の言語」とも称され、セラピー中に抑圧されていた感情を解放するカタルシスの触媒となる。実際、LSD療法では泣く・笑う・叫ぶといった感情表出が頻繁に起こるが、治療者はそれを無理に抑えず音楽で波に乗せるように支援した。たとえばクライアントが悲嘆に沈んでいると判断すれば、その感情を深め解放するために敢えて哀切な曲(ブラームスのレクイエム等)を流し、一旦泣ききった後は穏やかな曲に切り替えて安心感を与える、といった即興的対応も取られた。この点で、治療者はまさに「感情のDJ」のような役割を果たし、音楽の持つ情緒喚起力をセラピーの流れに組み込んでいたといえる。
また音楽には反復リズムや持続音によるトランス誘導効果があることも古くから知られている。人類学者の報告するところでは、多くの伝統文化においてドラミングや聖歌といった音楽行為が儀礼的な恍惚状態(トランス)を誘発する手段として用いられてきた。例を挙げれば、アマゾンのシャーマンは幻覚性植物アヤワスカの儀式でイカロスと呼ばれる歌を歌い、北米先住民はペヨーテの集会で水太鼓と聖歌を夜通し奏でる。欧州の古代エレウシス秘儀でも幻覚性の聖餐酒と音楽・舞踏が組み合わされ、没我の体験が演出されていた。サイケデリックセラピーの先駆者たちはこうした伝統に学びつつ、近代的な音楽技術(ステレオ音響や録音)を駆使して洗練されたトランス空間を生み出そうとしたのである。ボニーとパンクは「古来の音楽とドラッグの併用儀礼が、現代の治療文化に再来したのだ」と述べており、自らの手法を伝統と革新の融合として位置づけていた。
このトランス誘導の観点からは、1970年代にグロフ夫妻が始めたホロトロピック・ブレスワークが参考になる。ブレスワークでは打楽器ビートや持続するドローン音響をふんだんに用い、恍惚感が極限まで高まるよう意図された選曲がなされる。セッション参加者は30分〜数時間に及ぶ音の洪水の中で過換気を行い、LSDに匹敵する深いトランス状態へ至ることが報告されている。この事例は、ドラッグなしでも音楽と身体技法の組み合わせで変性意識が誘導できることを示すものであり、裏を返せば音楽のトランス誘発力がいかに大きいかを証明している。
最後に、音楽が喚起するイメージ(心的映像)の役割にも触れる必要がある。精神展開剤の体験中、クライアントはしばしば鮮烈なヴィジョンや象徴的なイメージを瞼の裏に見る。音楽はそのイメージを方向付け、豊かに展開させる役目を担う。ボニーによれば、適切な音楽は映像の流れを「ガイド」し、潜在意識から浮上する断片的なイメージを物語性のあるビジョンへと繋ぎとめる。彼女の開発したGIMはまさにこの考えに基づいており、音楽を聴きながら自由連想的に語られるクライアントのイメージを治療者が対話的にサポートすることで、無意識からのメッセージを解読・統合することを目指している。サイケデリックセラピーの現場でも、音楽によって誘発されたビジョンが治療上重要な洞察につながるケースは多々報告されている。例えばある末期癌患者は、セッション中に流れたシベリウスの曲から「自分が大樹になり森の静けさに包まれる」ビジョンを得て死への不安が消えたと証言している(春の森実験の報告例)。このように、音楽が患者の内面に映し出す象徴イメージは、その人固有の意味を持つメッセージとなりうるため、治療者は音楽選択を通じてクライアントの心的旅路に寄り添い、必要なテーマを引き出すことを意図したのである。
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1980〜2000年代:停滞期における音楽とセラピーの非臨床的展開
1970年代初頭にサイケデリック研究が世界的に規制されると、臨床における精神展開剤と音楽の併用研究はほぼ完全に停止した。しかし、この間も音楽と意識変容をめぐる探究は地下的に継続され、またドラッグを伴わない形での発展を見せた。グロフのホロトロピック・ブレスワークやボニーのGIMはその代表例であり、1980年代を通じて世界中に普及し続けた。これらは「音楽と変性意識」というテーマを合法的に研究・実践する枠組みを提供し、サイケデリック研究の空白期にあって重要な橋渡しとなった。
同時期、ニューエイジ運動と自己啓発セミナーの隆盛が音楽を媒介とした意識変容体験を一般化させた。1980年代以降、スティーヴン・ハルパーンやポール・ホーン、後にはブライアン・イーノといった音楽家が「癒やし」や「環境音楽」としての作品を発表し、セラピー現場や瞑想実践に用いられた。特にイーノの『Music for Airports』(1978)はアンビエント音楽の金字塔とされ、その理念はサイケデリック・セラピーの音楽利用にも影響を与えたと考えられる。アンビエント音楽の特質――終わりのない持続、調性的安定、環境に溶け込む構造――は、まさにドラッグ体験下の意識を支える「背景音」として適していた。
また1980年代から90年代にかけては、電子音楽技術の進歩とダンスカルチャーの拡大によって、新たな形の音楽と意識変容の結びつきが生まれた。特に欧州で隆盛したレイヴカルチャーとトランス・ミュージックは、精神展開剤の体験と音楽を結びつける大衆的実践の場となった。テクノやトランスのダンスフロアでは、MDMAやLSDの使用とともに長時間のビート音楽に没入し、集団的なトランス体験を得る文化が広がった。このような実践は臨床研究とは独立して発展したものの、「音楽を介して変性意識を誘導・共有する」という点でサイケデリックセラピーと共通の基盤を持っている。
一方で、心理療法領域では1980〜90年代を通じてイメージ療法や表現療法の一環として音楽が活用され続けた。ボニーのGIMは欧米の音楽療法士の養成課程に組み込まれ、臨床現場でも慢性疾患患者やトラウマ患者に適用された。また音楽心理学者や芸術療法士が「音楽による意識変容」「音楽と象徴イメージ」の研究を続け、学術的基盤を築いていった。これらはサイケデリックドラッグの臨床研究が復活する2010年代に向けて、理論的・方法論的な知見を提供する土台となった。
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2010年代以降のリバイバルと音楽研究
21世紀に入り、規制下で途絶えていたサイケデリック研究が徐々に復活を遂げる中で、音楽の役割も改めて注目され始めた。とりわけ2010年代以降、ロビン・カールハート=ハリスやデヴィッド・ナットらの研究グループによる臨床試験が欧米で進められ、うつ病やPTSDに対するサイロシビン療法の効果が科学的に検証されるようになった。これらの試験では、古典的プロトコルと同様にヘッドホンとアイマスクを用い、セッション全体を通して音楽を聴かせる方法が標準化されている。つまり1960年代に確立された「音楽を伴う内的体験」の構造が半世紀を経て再現されているのである。
現代の研究においても、音楽が治療効果に及ぼす影響は実証的に確認されている。例えば2017年のカーレン(Mendel Kaelen)らによる実験では、LSD下で音楽を聴いた被験者は健常時に比べて音楽に対する情動反応が著しく強化され、「感動」「畏敬」「神秘性」といった体験が増加したことが報告された。また2021年の研究では、音楽への没入度が高いほどサイロシビン療法の治療アウトカム(抑うつ症状の改善)が良好であったとされる。こうした知見は、音楽がセッションの「効果増幅器」として働くことを裏付けている。
さらに現代のセッションでは、選曲にあたって従来以上に慎重な検討が行われている。リチャーズら古典世代の研究者が残したプログラムを参照しつつも、現代の治験チームは文化的多様性や患者のバックグラウンドに配慮し、より普遍的でバイアスの少ない音源を探求している。例えばエンヤやアルヴォ・ペルトといった現代作曲家の音楽や、非言語的なワールドミュージック、環境音楽的作品が選ばれるケースも多い。これは宗教的含意の強すぎるクラシック作品を避け、誰にとっても比較的ニュートラルで安全な音楽を提供するための工夫である。また、近年は音楽心理学や脳科学の研究成果を踏まえ、特定の情動を喚起する曲調やリズムが意図的に組み込まれている。
同時に、テクノロジーの進歩が新しい可能性を開いている。デジタル音響処理やVR/AR環境と組み合わせて、個人に合わせた「パーソナライズド・サウンドスケープ」を生成する研究も始まっている。また、AIによる作曲アルゴリズムを用いてセッション進行に応じた音楽をリアルタイムに生成する試みもある。こうした動きは、かつてボニーやグロフが目指した「音楽による内的旅のガイド」を、より柔軟で個別化された形で実現しようとする現代的展開といえるだろう。
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総括
1960年代以来、サイケデリックセラピーにおいて音楽は単なる背景音ではなく、体験を方向づけ、治療的プロセスを支える中核的要素として位置づけられてきた。古典的研究では、音楽は患者の不安を和らげ、感情解放やピーク体験を促進し、統合を助ける役割を果たすことが体系的に示された。グロフやボニーをはじめとする研究者たちは、音楽が人間意識の深層に直接働きかける媒体であることを強調し、その臨床的利用法を確立した。
その後、規制によって研究が中断されたが、ホロトロピック・ブレスワークやGIM、ニューエイジ音楽、レイヴカルチャーなどを通じて「音楽と意識変容」の実践は地下水脈として継続された。こうした文化的・非臨床的展開は、サイケデリック研究が復活した2010年代以降の臨床的実践の基盤を形作ったといえる。
現代の治験では、音楽の影響力が神経科学的にも裏付けられつつあり、音楽の選曲・構成が治療効果に直結することが明らかになっている。さらにデジタル技術やAIによる新しい音楽環境の創出は、今後のセラピーにおける音楽利用の可能性を拡張していくだろう。すなわち、サイケデリックセラピーにおける音楽の役割は、過去半世紀を超えて歴史的に継承されながらも、時代ごとの文化・科学の文脈に応じて進化し続けているのである。
音楽は、内なる旅路を導くコンパスであり、患者を深層意識の世界へ安全に誘う「言葉なきセラピスト」であり続けてきた。そして今後もまた、サイケデリック研究の発展とともに、その重要性はいっそう増していくと考えられる。
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参考文献
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